大橋巨泉さん死去

大橋巨泉が7月12日にがんの闘病の結果 死去した。82歳だった。

7月20日 9時20分頃フジテレビを たまたま見たら
大橋巨泉が7月12日に死去した 追悼の報道を行っていた。
司会の小倉智昭が懇意に師事していたため独占的に報道していたのです。
4,6チャンネルに10チャンネル その他のチャンネルはこの特集を見てびっくり慌てて
9時40分頃からか特報テロップを流す。
NHKは10時のニュースで報道。
私も大橋巨泉の死亡記事を新聞,ネットで検索したが見当たらない。誤報ではないかと考えたほでどあった。
ネットでは9時56分毎日新聞メールで速報

大橋巨泉の最初のラジオでの出会いは 私の古い記憶では1964年(昭和39年 東京オリンピックの年) 
山田ロミの番組(TBSラジオでパーソナリティーの番組)で
構成作家として出演 ジャズの評論家で 物言いが非常に生意気な感じがした。
その後11PMで初めて大橋巨泉を認識したものだった。
その1週間前には
永六輔が7月7日に亡くなっていた。82歳。
ザ・ピーナッツの伊藤ユミが5月18日に亡くなっていた。75歳。

ここで問題 テレビ関係者で3人に関係した人物は?

日本テレビの井原高忠である。
この人は学生時代 アメリカ映画 音楽をこよなく愛し 
バンド活動をしており 学習院,慶応を卒業して日本テレビに入社した。

アメリカのテレビ局からバラエティ番組制作のノウハウを持ち帰り、
これを日本のテレビ番組で実践。日本におけるバラエティ番組の草分けとなった。

1958年(昭和33年)、『光子の窓』(草笛光子 主演)でディレクターとしてデビュー。
放送作家として永六輔を起用。

渡辺プロダクション創業者渡辺晋から当時18歳だった伊藤日出代・月子姉妹を紹介され、
「エミ・ユミ」の芸名と「ザ・ピーナッツ」のグループ名を付ける。

1965年(昭和40年)に『11PM』を企画し、不毛の時間帯であった深夜帯を開拓した。
構成作家として入った大橋巨泉が「何なら僕が変えてやる」と自ら出演を希望、
井原はこれを受け入れ報道局を説得し全面リニューアルさせた。

1969年(昭和44年)には巨泉と前田武彦による『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』をプロデュースした。

井原は50歳になったら会社を辞めると公言していたこともあり、
1980年(昭和55年)6月6日、自身の51歳の誕生日に胆石の手術を理由にして日テレを退職する。

1985年(昭和60年)に日本を去り、アメリカ合衆国の永住権を得てハワイ州ホノルルに定住。
ハワイに移住後、アメリカ本土に移ったため、自らもジョージア州アトランタ郊外に移住した。
2014年9月14日、心臓の病気によりアトランタの病院で死去。85歳没[6]。 

著書に、自伝『元祖テレビ屋大奮戦!』(1983年、文藝春秋)がある。
これが1万円以上の高価な古書である。

この4人に共通した番組で一番記憶,記録にある番組はシャボン玉ホリデーです。
日曜夜6時30分から7時までの30分番組 牛乳石鹸提供

番組の最後はザ・ピーナッツとハナ肇の掛合
バックの音楽は スターダスト ギターをメインにロス・インディオス・タバハラスの演奏
youtubeでは https://www.youtube.com/watch?v=069usO2jTAI
ロス・インディオス・タバハラスの演奏では マリアエレーナ この曲も良かったです。
youtubeでは https://www.youtube.com/watch?v=Cx792WbxDXQ

すごく楽しく素晴らしい番組 洋楽 オールディーズ60’s そのもの ダンス,衣装,大道具もよかった。

最後の曲 スターダストは甘く悲しげな音楽で 
楽しい時間が過ぎて
ああ一週間終わってしまった
明日から学校か
一週間が待ちどうしいな
などと思って過ごしていた若い頃の思い出です。

参考の本
シャボン玉ホリデー―スターダストを、もう一度
五歩一 勇 (著)

shabon

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