同じく蝉のお話

今月も先月と同じく蝉のお話で

2015年09月13日
カナカナとヒグラシが鳴始めました。カネガナイと聞こえるのは 私の僻目でしょうか。
あんなに暑かった夏を惜しむかのように 悲しげに切なく 静に鳴いています。
夜になると集く虫の音もきこえてきます。あんなに暑かった夏はどこに逝ったのでしょうか
喉元すぎれば何とやらです。?
今月も先月と同じく蝉のお話で。

閑さや岩にしみ入る蝉の声 (芭蕉 山形市 立石寺 元禄2年5月27日1689年7月13日)
の蝉は油蝉かミンミン蝉か どちらなの との質問を受けました。

其の回答は下記

山寺の蝉論争について

芭蕉の「閑さや岩にしみ入蝉の声」の「蝉」が、どんな蝉であるか、単数か複数かなどにについて多くの議論があり、
昭和の初期には、歌人・精神科医の斎藤茂吉(1882~1953)と、夏目漱石門下で芭蕉研究家の小宮豊隆(1884~1966)との間で
激しい論戦が繰り広げられた。

茂吉はジージーと鳴くアブラゼミであると主張し、小宮はチィーチィーと小さく鳴くニイニイゼミであると主張した。
山形県出身の茂吉は、山寺のことだけに一歩も譲ることができずアブラゼミで押し通した。

そのうちに、これらのセミの活動時期を調べ論戦に決着をつけようということになり、実際に山寺に入って調査が行われた。
その結果、芭蕉が山寺を訪れた7月13日(新暦。旧暦では5月27日)ごろ鳴き出しているのはニイニイゼミで、
山寺界隈ではこのころまだアブラゼミは鳴かないということになり、茂吉が敗れた形で蝉論議は終結した。

山寺.jpg

閑さや岩にしみ入る蝉の声
この俳句を 声をだして詠んでみると なんとなくアブラゼミのような気がしますが 如何でしょう

もうひとつ 蝉の話題

イソップ物語が日本に将来されたのはポルトガルの宣教師により安土桃山時代ですが
其のときの 蟻とキリギリスの噺は 蟻と蝉の噺だったのです。
現在我々が見聞するイソップ物語は ギリシャからフランス,イギリスから明治時代以降もたらされたものです。
寒いフランスやイギリスでは蝉はあまり見られないのでキリギリスに
置き換えられ明治時代以降 アリとキリギリスに為ったとのことです。

イソポのハブラス2.jpg

明治以降の欧米での蟻とキリギリスの噺は最後に
食べ物も与えず 今度はダンスでもしたらと突き放しています。

反って日本に伝わり日本人が編集した 伊曾保物語では 最後には 少々の哀れみをもってセミに物をあたえています。
400年前からの日本人の優しい性格はあまり変わっていないようです。(良いか悪いかは別として)

下らない噺を長々としゃべって参りましたが
私の担当のブログも今回が最後です。
蟻と蝉ではありませんが 最後に 追われて鞭で打たれるのか それとも 幾許かの憐憫の情を受けるのか?

次の新しい担当者のブログをお楽しみに。

最後に先ほどの薀蓄をひとつ 下らない噺の 「下らない」 は

上方 京都大阪方面から江戸に船により 下った品物は どんなものでも品質が良く(酒,こんぶ,醤油等)
それに対して江戸の品物は何でも品質が悪かったので 下り物に対して下らない物 下らないとなったと云う嘘のような話です。

以上 下らない とまらない カッパえびせん的 ヒグラシ的 連体修飾「的」  中国語(限定語)「的」 平仄が合わない お粗末な噺でした。

今月は総会を市会後直ちに行いますので,全員出席方宜しくお願い致します。
尚 出席されない方の為に委任状を送付致しますので署名後 返送お願い致します。

次の水戸市場は9月1日火曜日です。

下記 参考文献

1.文禄旧訳(天草本)『伊曽保物語』=『イソポのハブラス』 (文禄2年 1593年)

蝉と、蟻との事

或る冬の半に蟻ども数多穴より五穀を出いて日に曝し、風に吹かするを蝉が来てこれを貰う

た、蟻の云ふは、「御邉は過ぎた夏秋は何事を営まれたぞ」蝉の云ふは「夏と秋の間には吟曲に

取紛れて、少しも暇を得なんだに由て、何たる営みもせなんだ」と云ふ。蟻「げにげにその分ぢ

や、夏秋歌ひ遊ばれた如く、今も秘曲を尽されてよからうず」とて、散々に嘲り少しの食を取ら

せて戻いた。

下心

人は力の尽きぬ中に、未来の努めをすることが肝要ぢや、少しの力と、閑有る時、慰みを事と

せう者は必ず後に難を受けいでは叶ふまい。

2.古活字版「伊曽保物語」(慶長・元和 1596-1642年頃)

3.萬治版「伊曽保物語」 (萬治2年 1659年)、古活字版を基に、絵入り整版が出版される。

4.「絵入教訓近道」天保15年元旦 (1844年)

5.渡部温 通俗伊蘇普物語(東洋文庫) 明治5年(1872年)

 

コメントは受け付けていません。