チャンプルの意味は?

先日テレビでゴーヤチャンプルのチャンプルの意味は?の問題が出ていました。
1.炒める
2.混ぜる
3.チャンピオン
の3択で 正解は2.混ぜるです。
面白そうなので その語源を調べてみました。

chample


チャンプルー
その語源はインドネシア語でcampur 混ぜる 混合するの意味だそうです。
それが安土桃山時代の頃にポルトガル人がインドネシアを経由して日本に伝わり今の
1.長崎チャンポン
2.ゴーヤチャンプル
3.チャンポンで酒を飲む
等になったようです。3.のチャンポンで酒を飲むと現在でも言いますが
江戸時代の洒落本でもその用例がのっています。
朝鮮語ではチャンポンハダ と言い 大体同じ意味らしいです。

富山県の高岡駅の立ち食いそば店ではうどんと蕎麦を一つの丼に盛った物を
チャンポンという名称で販売していると謂う事です。

語源を調べるのは面白いのでポルトガル語由来の語源を調べました。
1542年種子島の鉄砲伝来以来の時代のポルトガルから入った言葉は多く

ボタン        botao
かぼちゃ    camboja
カッパ        capa
カルタ        carta ウンスンかるた ピンからキリまで
カステラ    castella
金平糖        confeito
ブランコ    balanko
ビスケット    biscoit
などでほとんど日本語化しています。

ビスケットの名はフランス語のビスキュイ(biscuit)から来ています。
フランス語でbisは「2」を意味する接頭語もしくは「2度」を意味する副詞であり、
cuitは動詞cuire(「焼く」を意味する)の過去分詞形であるため、全体として「二度焼いた」という意味を表すのです。
さらに遡っての語源はラテン語の「二度焼いたパン」ビスコクトゥス・パーニス(biscoctus panis)より。
これは保存食として作られた堅パンを指し、ビスケットもまた本来は軍隊用・航海用の保存食であったということです。

何故ビスケットをクドクドと書いたかと云うと 江戸時代にビスケットと茨城の関係があるからなのです。それは

日本ではじめてビスケットに関する記述が登場するのは、幕末に長崎で開業していた医師である柴田方庵の日記であり、
水戸藩からの依頼を受けビスケットの製法をオランダ人から学び、1855年にその製法書を送ったことが書かれています。

柴田 方庵(しばた ほうあん、寛政12年(1800年)-安政3年10月8日(1856年11月5日))は常陸国多賀郡会瀬村(現在の茨城県日立市)出身です。
江戸時代の蘭学者、医師。方庵は号、本名は昌敦、字は谷王。日本で初めて牛痘の接種を行った1人として、
またビスケットゆかりの人物として知られています。

14歳の時江戸に出て、儒学者であり養父が医師でもある朝川善庵に儒学と医学を師事します。
その後、天保2年(1831年)には長崎に出て、シーボルトの門人たちやオランダ軍医オットー・モーニッケに最新の西洋医学を学び開業。
郷里の常陸国に戻ることなく長崎に没しました。
柴田 方庵が常陸国多賀郡会瀬村と文通した古文書が残っており其の中に水戸藩に保存食用のビスケットを紹介しているのです。

柴田方庵は、安政元年(1854年)に郷里の水戸藩の役人萩信之助から兵糧になる西洋の保存食として「パン・ビスコイト製造」を習得し報告するよう依頼を受け、
オランダ人からビスケットの製法を学んだのです。安政2年(1855年)にその製法書を送ったと方庵の日記に記されている2月28日を、
社団法人全国ビスケット協会では「ビスケットの日」と定めているのです。

因みに日立市郷土博物館から柴田方庵の日記5分冊が発行されています。
その ビスケットの日は下記写真の如く第5分冊Pに記載されています。

現在では 日本語は大和言葉 アイヌ語 漢字 朝鮮語 ポルトガル語 英語と色々な言葉が混じっています。
いろんな国から言葉吸収して ほんとに日本語はおもしろいですね。
柴田方庵の人生も色々 日本語も色々なのです。

そこで一句

日本語は ピンからキリまで チンプンカンプン

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