桜が咲く頃

”毎年よ彼岸の入りに寒いのは” あの 正岡子規の句ですが、
  「母の詩、自ら 句となりて」という前書きがあるように、
  亡きお母さんの生前の口癖がそのままこんな句になってしまったというのです。
   ”お母さん、お彼岸だというのに寒いなあ”と言うと
   ”毎年よ・・”と母上がこの句のように答えられたという。
  春の彼岸を迎えられる度に、お母さんを偲び、供養の手向けをしていたのでしょう。
  今月は桜 花に関してのお話です。
  毎年春になる季節 桜が咲く頃に必ず思い出されるのが下記の歌です。
  春の彼岸から間もないのか 歳をとったのか 桜を見るにつけて
  どうしても亡くなった人たちの事を思い出してしまいます。
  夢の中だけでも 中島みゆきの時代の歌詞のように 
  生まれ変って歩き出して 欲しいものです。
 
   
 

    願わくは花の下にて春死なむその如月(きさらぎ)の望月(もちづき)の頃
        西行法師
    今年のその如月の望月の頃は4月3日金曜日に当たります。
    西行法師は20代前半まで、
    鳥羽院を警護する北面の武士(俗名・佐藤義清)でした。
    23歳の時 意を決して武士を捨て、出家しその後の人生を僧侶、
    歌人として諸国を放浪しながら生きていくことになるのです。
    そういえば如月小春という可愛らしい劇作家、演出家、エッセイストがいましたが
    若くして亡くなってしまいましたね。
 
    さまざまのこと思い出す桜かな
        松尾 芭蕉
    この句は元禄元年(1688年)芭蕉が奥の細道の旅に出る1年前、
    故郷の伊賀の国(現在の三重県伊賀市)に帰省した時に詠まれた句です。
    その地で、早世した主君の思い出の桜を実際目の当たりにして
    詠んだものと思われます。
    芭蕉は、「風雅の道」の先人である西行法師(1118年~1190年)
    を生涯敬愛していました。
 
    散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ
        細川ガラシャ
    西軍の石田三成が大坂玉造の細川屋敷にいたガラシャを人質に取ろうとしたが、
    ガラシャはそれを拒絶し自害しました。 その際 彼女が詠んだ辞世の歌です。
    大阪環状線の森之宮駅の近くにその場所はあります。大阪城がすぐ近くです。
    40年ほど前大阪で仕事をしていた頃にこの史跡の跡を訪ね 
    歌を覚えたことを懐かしく思い出します。
    同じ頃亡くなった人のことを強く思い出されます。
    3年ほど前に訪れたときにも同じように変わらずに史跡の碑が残っていました。
 
 

 
    そこで一首
   
    散りぬべき 古書振りてこそ リサイクル 買うも買うなり 売るも売るなり
    (なんのこっちゃ)
       
    桂米朝さんも亡くなってしまいました。
    さまざまのこと思い出す桜かな
 
次の水戸市場は4月7日火曜日です。
 
    先週 茨城キリスト教大学で 川瀬巴水の版画 と題して林望の講演会がありました。
    書誌学の専門家であり種々の本を出版されている芸大の助教授であった林望先生で,
    川瀬巴水の見ていたもの-其の版画に残された美しい日本版画 の講演会でした。
    無くなってしまった美しい日本の風景 特に茨城に関しての風景版画の造詣深い話で
    非常に感銘を受け聞かさせて戴きました。
    内容は来月をお楽しみに
日立市 水木の曇り日
 

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