先達はあらまほしき

下記の格言が今古書世界でも生きています。

先達はあらまほしきことなり

出典は「徒然草(五十二段:仁和寺にある法師)」

ninnnaji

 

仁和寺にある法師、年よるまで石清水を拝まざりければ,心うく覚えて,ある時思ひ立ちて,ただひとり,徒歩よりまうでけり。
極楽寺・高良などを拝みて,かばかりと心得て帰りにけり。
さて,かたへの人にあひて
「年ごろ思ひつること,はたし侍りぬ。聞きしにも過ぎて,尊くこそおはしけれ。そも,参りたる人ごとに山へ登りしは,何事かありけん,
ゆかしかりしかど,神へ参るこそ本意なれと思ひて,山までは見ず」
とぞ言ひける。

  すこしの事にも,先達はあらまほしきことなり。

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この法師がお参りをした極楽寺は、石清水八幡宮の付属の寺の一つで、高良大明神は、八幡宮の付属の社に過ぎません。
結局、男山の山上にある、石清水八幡宮にお参りすることなく帰ってきたことになります。
何事にも案内の者(先達)がいてほしいものです。

「先達」は「せんだつ」と読みます。
どんなちいさなことでも,先輩や案内人があってほしいものだ,ということです。
このお坊さんも,案内人がいたり,また行く前に実際に行った人から話を聞いていたりしたら,こんな勘違いはせずにすんだわけですよね。

 水戸の市場又は神田の市場で感じることですが
組合の指導者又は先輩がいるので安心して市場に参加できるということが有ります。
これは順繰り順繰りですから だれそれというわけではないですが これが伝統であり継承という組織体ということでしょう。先生,家族,先輩などなど,いろんな「先達」がいます。
また,同い年の友達も,年下の同業者も もしかしたら何かの経験に関しては「先達」かもしれません。
 実際に経験したことのある人からアドバイスをもらうというのは,とても貴重な体験です。
周りの人はみんな自分の先生だという姿勢で,一日一日過ごしていくことがいいのでは無いですか 中々出来ませんがまた 聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥 と言いますが全くその通りです。前回も書いたように プログラムの世界でも同じなのです。
これをオブジェクト指向といい あるプログラムを継承したりカプセル化したり,多態化したりと同じ思考方法です。
同じ間違い,過ちをしないようにプロテクトしたり出来ます。
(他の世界でも通用するのを類推(るいすい)、アナロジー(Analogy)ともいいます)上記の話と一寸異なりますが
先日 新聞に【日本アカデミー賞】主演&助演でW受賞と報道されていました。
この報道のW受賞で40数年まえの新入社員のサラリーマンの頃の思い出が浮かび上がってまいりました。それは私が新米の機械設計の担当者として 技術計算仕様書を作成しており,30人程出席する設計図面検討会の席上
仕様書の一部にWフィルタ仕様と記載していたところ,
担当課長からWはダブルの意味か もしそうであれば言葉は正確にして ダブルフィルタ仕様に修正しろと指摘されたのでした。

後日再度調べなおしたところ

ダブル(double)は、2倍や二重、2つ組などを意味する言葉。デュプル(duple)とも。
何倍であるかを表す倍数詞の一つである。日本ではアルファベットのW(double U、ダブリュー)
を「ダブル」と呼ぶことがあり、Wをダブルと同様の意味で使用する場合もある。

なかなか意味深長で ローマ時代のアルファベットはU、Vは同じ表記でWはなかったとのこと だからdouble U。
ラテン語系のフランスではWは二重のV double ve (ドゥブル・ヴェ)
私見ですが 明治時代の知識人たちが上記を考慮してダブルをWに表記上 簡略化したのではないかと考えています 如何でしょうか?
(商社等では テレックスを打つ時 double checkは長すぎるので、W-CKと書いていたとのことです)
因みにASAPとは as soon as possible の略語で、「出来るだけ早く」という意味になります。
文章の最後に付けてFAX、テレックスで良く使っていました。

色々調べると面白いものです。

すこしの事にも,先達はあらまほしきことなり。
聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥

 

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